谷川岳
2020.04.06
  千葉、武部(記)
2020.2月24日(日) 曇、晴れ
 ロープウェイの切符売り場は行列だ。昨日は雪でロープウェイは15分程開始時間が遅れるとのこと。田尻沢のコースは雪崩の危険があるので閉鎖だった。千葉さんを探す。一周して戻ってきたところで千葉さんと会う。
ロープウェイから西黒沢を見ると、まだ水が流れていた。雪で埋まっていない。今年は雪が少なく、ロープウェイの下までスキーで滑るのは沢に落ちる可能性等があり、また、かなりの距離をツボ足で歩くことになり、止めた方がいいようだ。ロープウェイ上から見ると、谷川岳はまだ少し雲の中になっていた。ここからシールで登るが、急になると自分はツボ足で登る。千葉さんはシールのまま登りきる。登りきると谷川岳はまだ雲の中だ。(もうすぐ雲から出る。)再びシールになるが、昨年に比べ雪は少なく結構木が出ているので、木をよけながら稜線に出る。稜線は木が密集しており、木をよけるのが大変だ。
 ロープのある岩場にさしかかるので、早めにツボ足になる。岩場は、アイゼンを付けずにそのまま下る。避難小屋に向かう途中、西黒沢を広範囲に見渡せるが、ずっと水が流れていた。今年は西黒沢を滑るのを止めた方がいい感じだ。避難小屋は屋根が出ており、東側の壁も上部は雪の上だ。昨年は、4月になっても屋根の上1m位雪があった(屋根の上のポールの長さからわかる)ので、雪不足がよくわかる。
・避難小屋手前からの谷川岳(雲から姿を見せた)


 ここからの登りで、流れ止めの調子が悪くて外れ、時間をロスする。少し登って、風で雪が飛ばされたところにさしかかり、今度はクトーを付ける。なかなか進まない。山頂からはいつものように、国境稜線が見渡せる。至仏岳、武尊方面もすばらしい。天気はいいが時間がもう遅いので、オキの耳に行くのは止める。山頂の雪は、昨年の3月よりも多い感じだ。
 風が強いので、すぐに滑走準備に入る。肩の小屋付近からカールに入ったところで休憩。
ここから1700m付近にある天狗の踊り場の岩までの大滑走は、ちょっと雪が重く、バランスをとるのがむずかしいが、トレースのないところを選んで滑り、楽しかった。千葉さんは、結構苦労していた。


・山頂からの上越国境稜線


 天狗の踊り場の岩からは稜線の南側を滑るが、すでに太陽で雪はかなり重くなっている。最初は雪崩れないか、慎重に滑る。(雪崩そうなためか、尾根の逆側のためかわからないが、ここはトレース無し)木が出てくるまでは、雪が重いが快適に滑る。滑ると板の上に10cm雪が載る感じなので、木が出てくると、木をかわすのが大変。
 上から1時間程で、避難小屋に着く。雪が重く、もう足は結構疲れている。後はツボ足でロープのある岩場に向かう。岩場を過ぎると、千葉さんはシールで降りたが、自分はそのままツボ足にした。木が多く大変だ。スキー場が見えるところまで登り返すと、後一滑りだ。もう雪は悪くなっているので、気をつけて滑る。
ロープウェイ上9:30/45―――避難小屋11:30―――天狗の踊り場の岩12:30―――谷川岳(トマの耳)13:25/45―――カール上14:05―――避難小屋15:00/05―――スキー場上16:00/05―――ロープウェイ上16:15
西吾妻撤退
2020.04.06
武部

2020.2月8日(土) 霧
 ロープウェイの駐車場で、ロープウェイの上の吾妻連峰はすでに雲の中であることはわかった。吾妻連峰は何十年振りであるが、視界がないと大変な場所であることはよく覚えている。ロープウェイを降り、リフトを乗り継ぐともう視界はあまり無い。リフト2本目の上にある「ホワイト」という無料休憩所に入る。ここで、焚火をしてかなり過ごすが、視界はあまりよくならないので、ついに登ることにする。
 リフト終点からはトレースがあった。少し登ると2人ツボ足+ワカン1人の3人パーティに追いついた。小屋に泊るのか聞いたところ、ラッセルが大変で、もう戻るとのことであった。彼らの前にもトレースがあり、少しそれを辿るが、あるところから左に曲がっていた。当初の計画は西吾妻なので、そこを自分は右に進んだ。(トレースは無い)15分も行かないうちに、樹林帯が疎らになってきた。前方を見ながら進むと、ゴロリ。ガスと雪の区別がつかないのか、メガネが曇っていて良く見えなかったのかわからないが、30cm?の段差がよくわからず、転倒してしまった。巨大なシュカブラとでも言うのか、木の周りに30cm以上の段差があるところが多数ある。
 休憩して、少し進むが、これ以上進むと樹林帯から出たトレースはすぐに消えて戻れなくなるので、もう戻ることにする。先程の分岐まで戻る。今度は下から見て、左に進んでいるトレースを辿り、中大嶺方面に向かう。15分程で樹林帯が疎らになると、トレースはわからなくなった。このまま登り、斜度があまりなくなるところまで到達すると、シールのまますぐに引き返した。樹林帯の入り口を間違えなく入り、分岐までくるとホットした。木が混んでいるので、スキー場が見えてから、シールを外した。
 帰りも、「ホワイト」に寄って焚火をする。スキー場を降りるとき、ホワイトアウトになり、非常に困った。リフト下では、はて?どっちに行くのか、迷ってしまった。登り返して、ロープウェイ下まで滑る。

リフト上11:10―――分岐11:50―――Uターン12:20―――分岐12:30/45―――中大嶺手前13:20―――スキー場上14:00
2020/3/19-22 瀬戸川スノーキャンプ (朝日岳、五輪山)
2020.04.05
■報告者名 立田
■山域、山名 栂池〜瀬戸川〜朝日岳、五輪山〜木地屋
■メンバー L 立田、M たまちゃん、近堂、上原
■日程、天候 2020年3月19日〜22日 栂池自然園駅〜白馬大池〜瀬戸川(橋)〜朝日岳途中or.五輪山〜瀬戸川(橋)〜蓮華温泉〜木地屋
■コースタイム
3/19 栂池 自然園ロープウェイ駅 1820m 9:35発 → 大池山荘の先 2368m 13:52-14:20 → 瀬戸川(橋)1180m 17:20
3/21 3:50発 → 朝日岳 1770m 9:00-9:20 → camp 11:05 16:40発 → 兵馬の平 17:45
3/22 4:15発 → 蓮華温泉先 1470m 5:30-50 → 木地屋の上、除雪終了点 675m 10:45


map:栂池〜瀬戸川〜朝日・五輪〜蓮華温泉〜木地屋へと続く長い道のり

■山行記録
 蓮華温泉春営業開始から70年余、あまりの寡雪に初の春営業取り止めの事態となり、3月定例山行も中止、彷徨い人となってしまった。結果、温泉に泊まれないのならテント泊でさらに奥地に分け入り、雪倉・朝日・五輪を堪能しようという骨太プランに先行4人、後行3人が集った。

 3/19

快晴。天狗原へのハイクアップは数十人いたが、酔狂な山越え組は我ら4人だけだった。重荷だが気持ち良く抜けた青空に励まされ登って行く。天狗原からは白馬乗鞍岳の北側を巻くつもりだったが、急なトラバース斜面に遮られ、南西寄りにルート修正、あとからトレースを見るとほぼ白乗を登るルートの方がスッキリしており、無駄もないことがわかる。
 大池山荘の先でシールを外し、いよいよ瀬戸川まで標高差1200mの滑降開始。天狗の庭からは眼下に蓮華温泉や行く手を見渡し、やや重雪なるもパウダー滑降を楽しめた。しかし少々出遅れ出発、20K超の重荷による負荷もあり、行程は捗らず、瀬戸川の橋を渡った時点で17時を過ぎてしまい、予定の白高地沢(橋)までは行き着かず、橋の袂でのキャンプとなる。


雪倉・朝日を望む


静まり返った蓮華温泉


天狗の庭からの大滑降

 そしてこの日の晩からモツ鍋、焼肉、鳥鍋と重荷に耐えただけの価値絶大なる豪華晩餐をふんだんに楽しんだ。

 3/20

吹雪。予報通りの荒天、これでは後行のふくちゃん一行の山越えは到底無理、我ら4人だけの4日間が確定。
 この日は1440mまで登り、昼前にキャンプに戻った。帰りに当初、キャンプを予定していた白高地沢(橋)を上から見たが、強風吹き荒れる寒々しい川原の様子に「ここまでキャンプ上げなくて良かったね」と納得。この日は日が暮れるまで降ったり止んだりだったが、夜には満点の星空となった。


風雪のスキーハイク、近、立、たま;後方に白高地沢(橋)が見える

 3/21

快晴。4時前に星空、無風の中、ヘッデンスタート。昨日辿った1701mピークに繋がる尾根を登り、雪倉岳を目指すこととする。しかし尾根は次第に痩せ尾根となり、雪の付きもよくなく、四苦八苦。結局、1510mピークから白高地沢方面へと斜滑降で逃げる。雪倉岳遥かなりとなり、ターゲットを朝日岳へ変更。白高地沢添いに登っていくに連れ、風は強まり、足元の雪は良好なパウダーとアイスバーン気味の斜面が交互するようになる。


遥かなり朝日岳

 私のシールの片方が凍り付いて剥がれ始める。今シーズン、そんなとき、COLLTEXはお湯を糊面に垂らし溶かして凌いできたのだが、板を春板に換えG3になると雪質状況なのかシールのせいかわからないが、その手が効かない。こりゃダメだな、1人撤退かなぁと思い始めたその時、片方のシールがベロッと剥がれてしまい、さらになんの拍子かビンディングまで外れ、あっという間に板が滑り出してしまった。緩やかな見通しのよい斜面だが止まらない、止まらない、500mくらい流れようやく止まったらしいのが遠目になんとか見えた。
 こりゃ参った! 1人で撤退のつもりだったが、上原さんが付き合ってくれ、心強かった。たまちゃん、近堂さんは五輪山に進路変更。緩斜面のおかげでなんとか片足スキーで流れたスキーのところに行き、やっと両足スキーで滑降開始。下るにつれて風も収まり快適な滑降でキャンプに戻った。
 日当たりよく快適なキャンプサイトであるが、対岸に渡るにはまず不安定に雪が乗っかった橋、続いて急な斜面を突破しなければならない。朝、暗い内にそこを通過し、さらに兵馬の平へ続く急登の消耗を考えると3泊目は少しでも上へとキャンプを上げておきたかった。上原さんと2人で荷物を広げ乾かし片付けたり、水をたっぷり汲んだり、急な斜面にルートを切ったり、五輪隊が戻ったらすぐに出発できるよう休む間もなくせっせと動き回る。



 それが待てども暮らせども2人はキャンプに戻らず時は過ぎていくのだが、それについては近堂さんにバトンタッチしよう。

【コースタイム】3/21 3:50 瀬戸川(橋) → 12:30 五輪山頂 →16:10 瀬戸川(橋)


 テント泊も3日目となり、本日は、晴れ予想の為、雪倉岳山頂を目指す。
 2:00に起床し、朝食の準備、お湯を沸かしたり、いざ出発するころには、4:00近くなっていた。瀬戸橋から、白高地沢を経由すると遠回りとなってしまう為、地図を見てショートカットコースを目指す。このコースが、朝で斜面もガリガリで、なかなか急斜面のコース。何度も、キックターンをしながらやっと尾根沿いに出た。と思ったら、どこか小高い山頂に出た、痩せ尾根は一旦下って先はあまりにも遠く長い。時間的に見て、雪倉山頂は難しいと判断して、朝日岳を目指すこととする。
 シールをはがし、高度を落とさないようトラバースしながら、登坂コースを目指す。といつの間にか、去年のトレース上に乗ったようである。
 朝日岳を目指すが、天候は良いが風が強い。強風の中、がりがりの斜面を登る。と、ここでトラブル発生。立田さんのシールが雪にまみれて接着力が超絶に弱くなっている。そのまま、登坂していた所、板が外れて1本流してしまった。ここで相談し、私とたまちゃんは比較的近い五輪山山頂を目指す事とする。立田さん、上原さんチームはいったんベースキャンプに戻り待機、2対2のチーム編成に切り替えた。
 五輪山までの道は、比較的に山中になっているので風もそんなに強くなく、山頂近くはガリガリ、木も出ておりスキーでの登坂は無理と判断し、板を脱いで山頂に着く。風は強いが、素晴らしき景色、雪質も良くこれからの滑走に胸が高まる。
 早速、滑走モードに切り替え滑り出す。と、ここでアイスバーン状態のコブを調子に乗ってジャンプで超えた所、板が外れてしまう。その後、なだらかに滑落していく。下を見ると、つかまれそうな灌木を発見。しがみつき、何とか危機回避。上を見るとちょうど外れた板が落ちてくる。慎重にキャッチしたと思ったら、もう1本の板が無い。上から、たまちゃんがもう1本の板を運んでくれて事なきを得た。
 滑落の恐怖を味わったので、慎重に滑り下りていくと、今度はトラバース状態のところでこけてしまう。その後、何度もこけてしまい、よくよく調べてみるとビンディングが不調できちんとロック出来ない状態である事がわかった。仕方が無いので一本の板を担いで、一本足で斜面を滑り下りる。しかし、この方法だと時間がかかり、また非常に疲れる。しかもこんな山深い中で、まともに帰る事が可能なのか。いろいろな思いが胸中を去来する。疲労し果て休憩している所、1つのアイデアが浮かんだ。紐でひっぱって強制的にビンディングをロックした状態にしたらどうかと、丁度持っていた紐でロック状態を保持。慎重に滑り出した所、何とかうまく行きそうである。その後は、そろりそろりと慎重に滑りながらなんとか、ベースキャンプに到着。
 相当遅れたので、立田さん、上原さん心配していました。今回は、トラブル続きの山行で色々と考えさせられるものがありました。まずは、雪崩を考慮して流れ止めをしていなかったけど、登坂中やアイスバーン時の板が外れた時は有効であると思いました。また、今回は、ストックしか持参していませんでしたが、ウィペットがあれば、最初の滑落時にもっと初期に止まれたはず。流れ止めとウィペットの必要性を感じた山行でした。(以上、近堂記)

 さて出発は大幅に遅れたが、キャンプを上に上げる方針に変更なし。16:40出発、1時間かけて兵馬の平の端まで行き、3泊目のキャンプを設営。

 3/22

曇→雨、雷、雹。最終日、近堂さんの締具の状況や下り坂の天気を考慮し、蓮華温泉からずっと車道を歩き、木地屋へ下ることこととした。やはり寡雪の年、3月に角小屋峠からのクラシックルートが雪不足で行けず、経験した車道ルート。スキーの滑らない歩きが延々と続く道のりに閉口し、ここには2度と来ないと誓ったのだが、再訪になってしまった。
 天気は思ったより早くに崩れ、雷鳴轟き、雹や激しい雨に叩かれての撤退となった。

 終ってみれば天狗原からは誰1人会うこともなく、私と上原さんは三山どころか一つのピークも踏めなかったのだが、なぜだか充足感のある奥深い山旅を楽しんだという確かな余韻が残る4日間だった。

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