Last Update : Jun 11, 1996

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発刊によせて

 わが山スキー同志会は、19期総会で20周年を記念して記録集4を作ることを決めました。3集は1989年12月に出されているので6年ぶりになります。20周年を記念してということがこの記録集の特徴です。
 一口に20年といいますが、社会人山岳会が20年続くということは並大抵のことではありません。先輩諸氏や会を取り巻く人々の支援に感謝をし、会員の様々な努力をお互いに誉め合ってもいいと思います。

 わが会は、1975年11月8日、檜原村数馬山崎屋旅館で現名誉会員の矢口政武さんをはじめ鈴木和雄、伊藤庄一、高良信一、久保制一、八代嘉子、田中道子、長堀妙子の皆さんが創設総会をし、産声を上げました。山スキー専門のツァースキークラブでした。ちなみにラ・ネージュ1号は76年2月2日に発行されています。

 20年の間には様々なことがありました。大きな遭難事故はなく、こうして会を続け、会員が趣味の山スキーを楽しむことができています。何より山スキーをしたい、仲間が欲しい、自然の中で過ごしたい、などの気持ちを持ち続けていることがその原動力でしょう。また、このような気持ちを支える実務を担って来た人達がいることも事実です。誰かが担当しなければなりません。誰にも仕事や子育てに忙しい時期があり、うまくやり繰りしてきたと言えるでしょう。

 ラ・ネージュ1号で鈴木さんが、会活動は2つあり、「1つはスキーツァーをする事、もう1つはその会を維持する事。この2つを協調させねばならない。」と書いていました。原点だと思います。
 会の山スキーへの精力的な取り組みは、会報(1〜237号、95年8月まで)と記録集1〜3までに集約されています。この間東京スキー協を辞し(81年6月総会決定)山岳会として雪山技術、遭難対策の力をつけようとし、当会の山スキーを実践してきました。厳冬期では上越、東北の山々、北アルプスでは3月以降に山スキーをしてきました。外国での山スキーもいくつかあります。
 しかし、最近ではテントを持たない山スキーが多くなった、個人山行が少なくなった、自立的な山スキーをもっとしたほうがいい、遭難事故はないが雪山技術をもっとつけていかなければならない、新人会員へのケアが不十分だ、などの声が聞かれます。
 滑りを中心にした山スキー、縦走を主体の山スキー、自然を楽しむ山スキーなど多様な要求を満足させながらもいつも連れて行ってもらう山行でないもの、安全な山行、新人へのケア、遭難対策などは会として考えていかなければなりません。また、原初に近い自然を味わうことや自然保護に関心をもつ事は近年の傾向です。

 この6年間の山スキーは、自分たちでルートを作るレベルに来ていることを物語っているといえるでしょう。これからはスキーハイキングから、さらにレベルの高い山スキーまで幅広く出来そうです。同時にわが同志会は世代交代の時期にかかっているともいえます。85年頃の山スキーブームは下火になって来ているようです。
 20周年記念行事やこの記録集を契機に会活動を振り返って、今後の山スキー、登山や会運営を考える糧にしたいと思います。(特別会計での鈴木基金は上述の鈴木さんのご両親からのご寄付によるものです。)

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