ラ・ネージュ山スキー記録集III発行日 1989年12月25日 |
北ア北部 大雪渓より鑓温泉へ滑降 1988年5月28日 メンバー:L柴崎松夫、橋本亨、菅沼博、長谷川淳一、遠山友樹、手塚紀恵子、 加藤康男、西川克之、岡坂準一、久保田修子、田村和彦(RSSA) 例年納会山行は芝倉沢が相場だが、今年は白馬大雪渓となった。私こと加藤は、西川、岡坂、菅沼氏と自動車で東京を出発した。(27日夜11時30分)松本近くから雨になった。激しく雨の降る深夜のドライブで神城駅に午前3時頃到着する。幸い待合室が開いていたのでそこで仮眠する。翌朝6時起床。白馬駅へ列車組がいないか一応見にゆく。だれもいない。 猿倉荘へと急ぐ。そこですでにタクシーで来ていた列車組のみなさんと合流し大雪渓を登る。例年より雪が多いらしい。良いことである。 スキー板を持ち込んでいるパーティーは他に2〜3パーティーいるようだ。大荷物を背負っている二人組はなかなか愛想が良く「コンニチワー!!」などとニコニコしている。シートラーゲンし登山靴で登っている。そんな彼らを軽く追い越して先を急ぐ。先行者は、はるか遠くのアイゼン・ピッケルの単独行者のみとなった。この長く続く苦しい登高もすばらしい大滑降がその労に報いてくれるから。途中シートラーゲンしながら雪渓を駆け降りてくる人がいた。 これは山行中みんなの話題となった。やれ「スキー靴を忘れた」だの「スキーとビンディングのアジャストが悪い」だの・・・・ 2300mの地点岩室の付近か、別の登山者が休憩していた露岩の部分より落石があった。先頭を登っていた私がたまたま上に目をやったため気付いたが、ほんの数秒の遅れで事故にもなりかねないところであった。下を向いてばかりいてはいけない。上を向いて登ろう。 白馬岳と杓子岳のコルへの急斜面の登りはシール登高の限界なのでシートラーゲンで登る。ここで西川氏とトップを交替する。膝までもぐるラッセルであった。最近雪が降ったのであろう。やっとのことで稜線へ到達。 ほぼ雪のない夏道を杓子沢の源頭を目指す。この頃より視界も悪くなり雷鳴が聞こえる。あまり楽しい気分ではない。気温も低いようだ。 杓子沢への下降点へ到着。ここで休憩する。田村氏の勧めもあり協議の結果、鑓沢よりの滑降ルートに決定した。あと200m余の登りだ。山スキー靴での岩稜の歩きはつらいものである。鑓ケ岳山頂よりスキー滑降の準備をする。この頃より小雪が降り出した。雷鳴激しく轟き渡り、そのエレキテルの作用でスキー板はビリビリ鳴り出すやら、私の頭髪は逆立つやら、いつ触雷するか不安になる。 このルートの経験者である田村氏のパイロットで鑓沢への下降点を捜すが視界が20〜30mがやっとでわからない。左側の斜面は急で、しかも雪質が不安定であり慎重な判断と行動が要求される場面だ。とにかく夏道稜線をコルまで下降し安全な下降点を見つけることができた。天候さえ良ければ更にすばらしい山岳スキーが満喫できたであろう。 それはともかく鑓温泉目指しおよそ800mのダウンヒルであった。上部は雪質が不安定であり雪崩が発生しやすい斜面であった。実際小規模であったが雪崩らしきものが発生した。 2000mの高度まで下降すると雪は雨になり、更に鑓温泉に到着するまでには雨も止んでいた。田村氏はすでに到着しており温泉に入っている。 55才とのことであるが見上げたものだと感心した。体力と年令は相関しない例がここに確かにあった。彼は毎日5Kmのランニングを消化すると聞く。この温泉で大休止する。その後、1650mの杓子沢との出合いまでおよそ500mの高度差のスキー滑降だ。この沢の滑降がザラメ雪で大変良かった。ハイライトであった。思ったよりハードなコースであった。 八方尾根スキー場が見えるが全く雪がない。疲労した体に行動食をつめ込み小日向のコル双子岩を目指す。田村氏のトレースがある。彼は長いシュリンゲによるシートラーゲンでスキンは使用しないようだ。 小日向のコルからは、ほぼ夏道沿いに田村氏の先行シュプールをたどり、木登りもどきのスキーイングで水の出ている夏道へ。ここでスキーは終わり。シートラーゲンで猿倉荘のキャンプまで全員無事に到着。雷鳴轟く小雨のなかスキヤキをピラニアのごとく食べ、ビールを飲みながら交歓した。 天候には恵まれなかったが、我会の納め行事にふさわしい大変充実した山岳スキーが満喫でき幸せな時を過ごすことができた。 (加藤記) 【コースタイム】 猿倉 7:00 −> 稜線 12:00 −> 杓子沢コル 12:30 −> 鑓ケ岳 13:50 −> 温泉 14:40 −> 小日向コル 16:20 −> 猿倉 17:00 |