ラ・ネージュ山スキー記録集III発行日 1989年12月25日 |
志賀 小丸山スキー場へ 1987年3月20〜21日 メンバー:L加藤康男、岡坂準一 3月20日 奥志賀高原スキー場焼額山よりカヤノ平を経て、野沢温泉スキー場を計画した。20日の昼に奥志賀高原スキー場に来てはみたが悪天のためゴンドラは動かず、リフトは第1リフトしか動いておらず、今後リフトが動き出すのを期待しながらレストハウスで待機していたが時間的判断もあり、12時40分にリフトに乗った。ピステはアイスバーンであり強風であった。客はまったくいない程少ない。リフト終点の係員をうまく説得して焼額山を目指した。シールとクトーによる人力の移動である。ノンストップで午後2時には山頂へ到達した。 明日は野沢温泉へは無理と判断し、竜王越えと予定を変更し、山頂付近の樹林帯でツエルトビバークする。夜遅くまで圧雪車がゲレンデの整備をしていた。明日日曜日は好天なのか。 夜中10時頃テントの外へ出ると満天に近い星空であった。明日の快晴をひたすら願った。 3月21日 4時半起床。7時半に山頂を出発。私は3年程前に奥志賀〜野沢温泉を訪れているが竜王山鞍部へは明確な指導標が新たに設置されていた。 迷うことなく野沢温泉と竜王越えの分岐点へ出た。 ここら辺はガスったら分かりづらい地形だ。おどろいたことにこの分岐点には小さな小屋があった。 以前はなかったのだがなんの目的であろうか。分岐点1930mより白沢川の沢沿いに明確に指導標が’完備”されてまったく迷うことはない。雪質も悪くはなく、岡坂氏の見事なスキーイングをカメラに納めた。昨日の悪天が全くウソのようである。頭上低空をヘリコプターが飛来してくる。 沢より尾根へ登り返すとき小休止していたら立て看板を持ったスキーパトロールがスキー滑降しながらわれわれのところへ来た。パトロール氏「小丸山方面は雪が少なく中止してほしい。装備は充分そうなので行ってもかまわないが・・・。」とのことであった。 小丸山スキー場と竜王スキー場への分岐点に「小丸山スキー場へのツアーは雪不足のため禁止」との看板を立てて行ってしまった。しかし小丸山へ行くことにした。小丸山手前の鞍部である”蟻ノ戸渡り”は本当に幅2m程であり難所であった。岡坂氏はスキーをはいたまま。私はトラーゲンする。小丸山より小丸山スキー場へのコースは本当に雪が少なく苦労した。 岡坂氏はジャンプウェーデルでこなしてゆくが私にはとても歯が立たない斜面であった。先行者のシュプールもハッキリ付いておりコース案内の赤布もたくさん付いていたので迷うことなく小丸山スキー場へ出た。到着は午前10時半。3時間のコースでガイドブックどおりであった。それにしても雪不足である。もう何日も雪が降っていないのであろう。このコースはかなり古くからのコースらしく指導標が整備されていて、雪質と好天に恵まれれば楽しいスキーツアーが約束されるコースである。 (加藤記) |