Last Update : Sep 13, 1998 概念図追加
      Nov 23, 1997
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ラ・ネージュ山スキー記録集III 


  発行日 1989年12月25日

岩菅山                      

志賀  奥志賀林道より往復 

    長野オリンピックの滑降コースとしてスキー場開発が予定されている

                             1987年3月21日 
                              メンバー:橋本 亨 

3月21日 晴れ
 毎年、焼額山スキー場から岩菅山を眺めてスキー滑降したいものだと思いながらも天候に恵まれず一度も実現しなかった。その岩菅山に今日こそ登ろうと早起きして軽い朝食を取り、奥志賀高原口に向かう。駐車場に車を置き、車道を一ノ瀬方面に向かって歩くが、前日の暖かさと夜の低温とで路面はつるつるに凍結している。二つめの橋を渡った沢の左岸の台地状のところでスキーを付けて登行し始める。表面クラストであるが、まだ気温が低いためモナカが割れることもなく、快調にシール登行できる。広い平原状のところを抜けると小さなピークに向かって登りとなり、樹林が混んでくる。帰路のスキー滑降のことを考えて、出来るだけ樹木の少ないところを選んでコースをとる。
 小ピークを越えると、ひどく細い尾根を経由して馬の背状の広い尾根にでる。ここは樹林も殆どなく、前方には岩菅山の大斜面が広がっている。振り返ると、プリンスホテルは眼下に、焼額山スキー場は正面に見えている。今日も午後にはその斜面を夢中になって滑るのだろうが、目前の岩菅山のスケールの大きさと比べると、ゲレンデは所詮ゲレンデちっぽけなものと感じられる。岩菅山独り占め真っ青な空とシュプールひとつない大斜面、幸せを絵に書いたような光景である。例年ならばふわふわ・さらさらのパウダースノーなのだが、この冬は暖冬で雪が少ないうえに日中気温が高く、粉雪の中を舞うように滑るというわけには行かないのだけが残念である。 
 展望を満喫してから山頂を目指すが、ここからはもうどこでもシール登行できるし、どこでも滑降できる。ノッキリを右に見て無木立の一枚バーンを直登行する。ペッフェルのクトーが実によく効く、固いバーンには最高だ。こんなに気分のよいシール登行は滅多にないと言えるほど快調に登り、山頂に着く。
 志賀高原の山々がパノラマ的に一望できる。寺子屋山、東館山方面に続く尾根は起伏を繰り返し、朝日にてらてらと輝いている。岩菅山へのコースとしては今回選んだものの方がうんと優れていると言える。鳥甲山方面の展望を期待してきたが、裏岩菅山が障害物になって、岩場に氷雪をまとったアルペン的な光景を見ることは出来なかった。
 ともかく360度の連続写真を取ってから滑降の準備を始める。張りつけシールの糊を金属スクレーバで削り落し、滑走面のコンディションを整える。気温の上昇につれて悪雪が予想される今日のような状態の時はスキーの滑走性の良し悪しが滑降の成否に決定的影響を与える。ビンディングの調整と流れ止めを確認してから、スタートする。
 頂上直下の大斜面は太陽の直射を受け、30分前とは雪質がもう変化している。エッジングによりクラストが割れ、滑らかな回転弧を維持することがかなり困難である。ジャンプ系でスキーの方向を決め、スピードとパワーでクラストを突き破り、舞うようにとはいかないが、飛ぶように滑降する。最高の幸せの一瞬である。この楽しみのためにいつも山に登るのだなと思う。カラカラと氷の細片が斜面を滑っていく。
 スキーを追いかけるように、つかのまの幸せの後には、薮スキーが待っていた。登りのシュプールを辿って、樹林を突破すると、そこはベタ雪の平原、奥志賀林道はすぐだった。


【コースタイム】 
奥志賀高原口 8:00 −> 1547m橋 8:30 −> 1700mヤセ尾根上 
9:15/9:30 −> 岩菅山頂上 11:15/12:00 −> 奥志賀林道 12:30

                                  (橋本記) 


【概念図】
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