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Mar 1, 1998
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 ラ・ネージュ記録集II 

  発行日 1982年10月1日 
  発行人 山スキー同志会    
  編集人 斎藤 進、川口敏博 他

貉ヶ森山                     

会越 /
                               1982年5月4日 
                            メンバー:長谷川、小森宮 

5月4日(火) 小雨後曇り

 会津駒の山行後、私と小森宮氏の2人は会越国境の貉ヶ森山へ登ることにした。只見線の本名で下車し、湯倉温泉で一泊する。落ち着いた感じのこざっぱりした宿で、我々以外はほとんど釣りの客で占められていた。
 6時過ぎに宿を出発し、木の吊り橋を渡って只見川支流霧来沢沿いの林道を行く。昨夜の雨で雪解けが進んだためか、水が激しい勢いで流れている。あいにくと、また雨がぽつりぽつりと降ってきた。傘を広げたり、カッパを羽織ったりして、のんびり歩く。三条の部落は、崩れた廃屋が目立つ。観光ブームとは無縁な奥深い山村の宿命なのだろうか。釣りの車が何台か追い越していった。自家用車で来れば、この長い林道歩きから解放されるのだが。
 林道は大石田沢を離れ、小笠倉山の尾根に向かってくねくね曲がりながら高度を上げている。天気も持ち直し、見透視も良くなってきた。800mを越えると、待ち望んだ雪が現れた。植林後間もない杉林はほとんど雪に埋まり、広い雪原になっている。林道を離れ、真っ直ぐに1011mP下のコルを目指して進む。コルを過ぎると、初めて貉ヶ森山が姿を現した。緑深い山々の中にあって、雪白き山の形容がぴったりする山容である。
 入り組んだ雪原を突っ切って、日尊の倉山とのコルのすぐ左の枝尾根に取り付く。稜線は思ったより広く、快適なスキーが楽しめそうだ。高度を上げるに連れて、黒い山肌に斑雪を残した御神楽岳の姿が大きく浮かび上がってくる。真っ白な山とはまた違った趣がある。頂上手前のピークでザックを降ろし、1315mの一等三角点を往復する。雪の消えた薮の中に標石と山頂を示すプレートを見つけた。おそらく再び踏むこともない山頂の記念に、横に座って写真を撮り合った。
 デポ地点よりゆるやかな稜線を滑り降りる。所々ブッシュが顔を出しているが、それほど気にならない。登りに使った急な枝尾根を下り、トラバース気味に進むと小さな池に出会う。地図に出ている池であろうか。スキーをひきずって上り下りし、コルの手前より再びスキーを着ける。雪の上に頭だけを出した木々の間を縫うように滑り降りる。やがて、林道に出会い、標高差500mあまりのスキー滑降も終わりになる。湯倉温泉までの長い下りで、2人とも足にマメを作ってしまい、予定していた浅草岳登山を取りやめてその日のうちに帰京した。


【コースタイム】 

湯倉温泉 6:10 → 三条 7:05 → 大石田林道分岐 8:00 → 林道を離れる 9:35 → 稜線 11:15 → 貉ヶ森山頂 12:05 → スキー滑降開始 12:30 → 滑降終了(800m地点) 13:15/13:30 → 分岐 14:30 → 三条 15:15 → 湯倉温泉 16:10


記:長谷川、電子化:作野

【概念図】                                 


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