Last Update : Apr 25, 1999 概念図追加
Feb 11, 1998
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 ラ・ネージュ記録集II 

  発行日 1982年10月1日 
  発行人 山スキー同志会    
  編集人 斎藤 進、川口敏博 他

吾妻連峰縦走                  

東北 / 天元台より浄土平 
                            1981年5月2日〜4日 
                メンバ L:高野、針ヶ谷、古川、蔵田、猿田、今野 
                         柳沢、鈴木、伊藤、里村、郡司  

5月2日(土)曇り

 米沢駅で仮眠の後タクシーで白布温泉へと向かう。ロープウェー湯元駅付近は、雪も消えていて最初の予定である西吾妻、若女平ツァーは中止になりそうである。6:20発のロープウェーで天元台につく。ペンション村の前のテニスコートも顔を出している。しらかば、しゃくなげ、つがもりリフトと乗って、9:10北望台につく。シールを着けて今日のテント場である人形石へと向かう。快適な登りである。途中、蔵田さんのジルブレッタのワイヤーが切れてしまって、人形石まで担いでもらうことにする。人形石着10:40、人形石から少し下ったところに、テントを設営する。若女平ツァーは中止になり、女性隊は蔵田さんのワイヤーを持ってきてもらうべく、後発隊に連絡のためスキー場に下る。郡司さんと私は、西大巓まで行くことにした。

【コースタイム】
米沢 5:50 → ロープウェー駅 6:20/30 → 天元台 6:40/8:00 → 北望台 9:10/25 → 人形石 10:40


5月3日(日)曇り

 後発隊とも無事合流して、10:30テントを撤収して人形石を出発する。思い思いに滑り出したが2〜3分で下ってしまった。シールを着けて歩く。暫く行くと、左前方に赤い屋根の明月荘が見えてきた。12:10、1927.9mの東大巓のピークに立つ。シールを着けたまま滑るが、すぐに終わってしまう。昭元山へは登らず、左側をトラバースするが、斜登行でシールが横にずれてしまって苦労をする。こんな時は貼り付けシールの方が有効のようである。
 烏帽子山は雪がなく、回り込んでニセ烏帽子の手前に出るが、ガスが出てきて慎重に歩く。3時半を過ぎたので、テント場を見つけながら進む。兵子の下にテントを設営する。

【コースタイム】
人形石 10:30 → 東大巓 12:10 → 昭元山 14:00 → ニセ烏帽子 15:30 → 兵子 15:55


5月4日(月)晴れ

 明け方3時頃から大雨が降り、テントに落ちる雨音で目が覚めてしまった。しかし、6時頃には雨も止んで青空が見え出し、今日は快晴のようである。8:00シールを着けて家形山を目指す。高湯温泉へ直接下る予定であったが、雪は全くなく、予定を変更して浄土平を滑ることにする。五色沼へは、急斜面をシールを着けて下り、一切経山へはスキーを担いで登る。一切経山から少し下ったところの馬の背から滑り出す。最初で最後の滑りである。8mmを写しながらゆっくりと滑る。蓬莱山の斜面ではスキーヤー達が、ポール練習をしていて大変な賑わいである。13:00浄土平無事到着。 

【コースタイム】
兵子 8:00 → 家形山 9:20 → 五色沼 10:00/30 → 一切経山 11:00 → 馬の背 11:15/12:10 → 浄土平13:00


記:猿田、電子化:作野

【概念図】                                    


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