Last Update : Jan 30, 2012
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ラ・ネージュ山スキー記録集 I 


  発行日 1980年11月1日

鳥海山

1980年5月3日〜5日

メンバー:5月2日入山 郡司、作野、高溝
     5月3日入山 菅沼L、藤谷、高野、針谷、今野、重田、馬場、佐々、(坂井)/以上12名

5月3日(土) 晴れのち曇りのち霧雨

象潟駅に着くと、時刻表に記載されていた8:30発の国鉄バスがミスプリントで運行しないという。天気も下り坂で、日本海の見えるうちに入山しようと、タクシーで鉾立まで行く。天候の変化は思ったより早く、強い南風に雲量も増し、御浜まで維持できるか気遣われる。

しばらくは奈曽川沿いの土と岩の露出した夏道を辿り、道が絶壁と離れていく地点からスキーを付け、シールで快調に進んで行く。まだ晴れ間の覗いている広大な斜面では、鉾立山荘をベースにしたスキーヤーが滑りを楽しんでいる。しかし、一歩稜線に出ると猛烈な風が吹きまくり、御浜神社に逃げ込む。中には、すでに多くのパーティーが入っていた。天候はその後、急速に悪化していく。

入山が前後したが、総勢12名、ここに合流する。

【タイム】 

象潟9:30→鉾立10:00/10:40→御浜神社12:50

5月4日(日) 晴れ

昨日の天気図では、低気圧に覆われて確実に天気が崩れる予報であったが、薄日が差している。しかし、本峰上空には、三重の笠雲が重々しくのしかかって、天候の悪化を物語っている。

小康状態を保つうちに、少しでも前進しようと早々に出発する。かなり強い南南西の風を受けながら、サンクラストの斜面を稜線沿いにキックステップで確実に登って行く。文殊岳、伏拝岳、行者岳と高度を上げるに従って雪質も良くなってくるが、行者岳を通過する頃から、風が増強し、七高山近くになると新山に反射した風が吹きまくり、猛烈な勢いで襲撃してくる。スキーの板が帆の様になり苦闘が続く。ストックで耐風姿勢を取りつつ、風脚の一瞬の衰えを縫って、七高山山頂に到着。人数の割にまずまずのペースである。西側の断崖に顔を出すと、先刻の風がうなりをあげている。南北を境にして東側は穏やかで、雄大なスロープが続き、皆の気勢が上がるところだ。おまけに、完全に晴れてしまった。

10:00。七高山山頂から10km弱の豪快なダウンヒルを開始。遮るものの無い広大な斜面。滑りやすい湿雪。皆、思い思いのシュプールを心ゆくまで描いている。七ツ釜避難小屋の手前500m位の間で一時悪雪の腐れ雪となり心配したが、それ以外の所は比較的雪に恵まれた。途中、思いがけない好天に祓川方面から地元のスキーヤ―達が列をなして登ってくる。

七ツ釜避難小屋からはバスの関係で、猿倉口へ下山することにする。起伏の激しい山で、晴れて見通しが良いのに悩まされ、地図と地形をにらみ合わせながらの前進であった。天気がいつ崩れるかわからないので、本日中に国民宿舎鳥海荘へ向かう。

温泉に入ってビールを飲みながら、窓から眺める鳥海山は格別である。象潟から見る形とは異なり、秀麗な孤峰を呈していた。

【タイム】 

御浜神社6:40→文殊岳8:05→七高山9:20/10:00→七ツ釜避難小屋10:40/11:15→棚池11:55/12:00→三合目お花園12:25→スキー終了点(470m)13:40/13:45→発電所14:10/14:25→国民宿舎鳥海荘15:00

5月5日(月) 曇りのちにわか雨

昨夜はかなりまとまった雨が降った様だ。皆、無事でよかった。本日は、門前からバスで羽後矢島に行き。羽後本荘から上野に向かうだけである。

鳥海山は、標高2229.9mの山頂から、発電所の手前の470m付近まで斜度も適当で、ルートファインディングさえ確実に行えば、極めて快適なスキーが楽しめる山である。

【タイム】 
鳥海荘8:00→羽後矢島8:30/9:04→羽後本荘9:45

(佐々 記) 

【概念図】
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