千露里庵生活記
1)
この山小屋は1958年にW学院ワンダーフォーゲル部OBが中心になって建てました。1992年に建て替え、今日に至り、今年で60年になる伝統ある山小屋です。 場所は、大泉の駅から近く、敷地は約2000坪(約6600u)、主な樹林はカラマツです。小屋は、カラマツ林を切り開いた地に、山小屋、物置小屋、風呂小屋、薪小屋、サウナ小屋があり、今、ロングハウス(東屋&車庫)を建設中だそうです。小屋の設計、建設は勿論、内装、机椅子などすべてが会員の力によって造られたと聞きました。 山小屋の建坪は約23坪(約76u)で、アメリカンテイストの風情ある小屋です。薪ストーブの暖炉と手作りのソラマメ型の重厚なテーブルが小屋の中心です。小屋の周りにあるカラマツを人手をかけ使い、談笑を楽しむことを大切にしようとしたのでしょうか。水道、電気はありますが、ランプが活躍しています。ガスもありますが、丁度切れ、火は薪に頼りました。 休むところはやや高い2段式のベッドと板敷きの広間、トイレは最新式のものがあり、参加者が楽しんだのはフィンランド式サウナでした。 2) 10/12(金)立田さんは夜遅くまで何度となく大泉駅まで迎えにジムニーで行きました。大変な悪路です。 10/13(土)薄暗いうちにそれぞれ起き出し、黙りこくって持参の朝食を摂りました。暖炉は付けていないので、前夜のヤカンのお湯を使いました。明るくなり始めた、5時半に出発しました。9時過ぎ編笠山山頂着、無事下山しました。 2時過ぎに帰りました。 夕食は小屋の外で焼き肉をするので、それぞれが仕事に取り掛かりました。外のテーブルは大工さんが工事現場で使用したりするベニヤ板で造った簡易な組み立て式でした。初めに皆で組み立てました。献立は、焼き肉、野菜サラダ、ポトフ、ご飯でした。食料を調理する係、かまどに火を熾しご飯を炊く係、ご飯は釜を使いました。ポトフは広口の大なべ。焼き肉用に炭を熾す係などそれぞれに合った仕事があります。出たごみを燃やすために空き地で焚火をしました。サウナの準備にサウナ小屋のかまどに火を熾し、薪をくべておきました。いずれの火も山歩きをする皆さんには得意な分野でした。沢歩きの焚火の要領で。時間があったので、薪割も体験しました。鉞や楔が準備されていました。 ようやく食事になりました。皆が席について、ビールで乾杯。その後は日本酒、焼酎、ワインとお喋り、食事でした。たまちゃんが自分で栽培したというシークワアサーを持って来て、焼酎に入れると、緑が鮮やかで香り高くなりました。薄暗くなりかけたころ第1部はお開きとなり、片付け、小屋の中で第2部となりました。暖炉の火を見ながら、温まり、テーブルの上のランプの灯りの下、お喋り。その後は暗い中サウナに向かい、温まりました。再度、話と酒を楽しむ人、ベッドに向かう人など。 10/14(日)早朝、ベッドの中で雨の音を聞き、(雨合羽を着て、片付けかな。)とぼんやり考えていると、幸い、雨は上がりました。雨が上がったころ、ジョギングに行く人、千露里庵の記録に目を通す人、静かに眠る人など様々。朝ごはんは前日の残りに火を入れ、残らず食しました。 丁寧に片づけをし11時解散。 3) 山歩きと共に、質実剛健、質素と勤労を旨とする小屋生活を垣間見、楽しみました。感謝。 (田中) |