Last Update : 2018/03/24 戻る

京都 阿弥陀ヶ峰

平成30年1月31日 天気:晴
メンバー;梅原

 観光客に大人気の京都も、この季節が一番静かである。季節限定割安日帰り新幹線切符で、豊臣秀吉の墓所などを訪れた。

 京都から奈良線で一駅の東福寺駅で降り、泉湧(センニュウ)寺をほぼ開門と同時に訪れた。毎年企画されている「冬の京都特別公開」の一つである法堂を拝観。公開された秘仏には薄い布が掛っていて、姿形はまったく見えない。多くの塔頭を抱える寺院に小一時間要してから、豊臣秀吉の廟所・阿弥陀峰に向かった。

 JRの線路を越え、京都駅から三十三間堂を経て登って来る道を、京都女子大と智積院の間を登っていくと、新日吉(イマヒエ)神宮に至る。「日吉」ということで、勿論秀吉の神社である。神殿の前の、一対の狛犬ならぬ狛猿に思わず笑ってしまった。

 神社に全く人影はない。ここから阿弥陀ヶ峰を往復するまで、只の一人にも出会わなかった。京都の寒さが、より一層厳しく感じられた。

 神社から50m程先に廟所の立派な門があり、入山料100円を箱に入れ、250段の階段を二つこなして阿弥陀ヶ峰、秀吉の眠る豊国廟である。標高198mの峰からは京の街が一望出来るかと予想していたが、樹木に覆われ展望は全く得られない。

 秀吉関連の神社仏閣は徳川政権により破壊され、明治時代になってある程度修繕されたものの、小規模になってしまい、このように訪れる者は疎らである。この日訪れたのは私だけかもしれない。太閤殿下も淋しがっていることだろう。

 清水寺からこの辺りにかけて、鳥辺(部)野という地域である。平安時代からの葬送の地であった。「鳥」という文字から、鳥葬とまでは言えないかもしれないが、野晒しの遺体を鳥が啄んだりもしたのだろう。庶民はせいぜい土葬で、貴人には、この地で火葬がなされた。 

 夕暮れはいづれの雲の名残とて花橘に風の吹くらむ 藤原定家

 夕暮時に橘の花を風が揺らす。どの雲から吹いてくるのだろうか? 当時、火葬の煙が雲となり、その雲から風が吹くと信じられていた。亡くなったどたなが訪ねて来たのだろうか?と

 先程の泉湧寺は江戸時代の全ての天皇の墓所となっている。清少納言が仕えた皇后・定子も、この付近の丘の上に眠られている。この地域が葬送の地となったのは、陰陽道からなのか、知りたいものだ。

 午後は相国寺などを訪れ、特別公開を見て回った。一ヵ所一律600円。「この寺には見るべきものなど一つも無いけれど・・」という前置きの説明もあり、今年の特別公開はお粗末でぼったくりに近かった。

 この切符は通常より4-5000円安く、しかも三千円のKiosk金券が付く。但し、有効期限は当日のみ。土産物を沢山買わなければならない、変な切符であった。

 


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