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ラ・ネージュ山スキー記録集III 


  発行日 1989年12月25日

序にかえて                    

                                   菅沼 博 


 ら・ねーじゅ第3号が発行されました。当初の予定では隔年毎に発行する予定だったのですが、第1号は’80年、第2号は’82年とここまでは順調だったのですが、第3号の発行は7年目になってしまいました。この理由はいろいろ考えられますが、第一に発行のための手数が大変でとても背負いきれるものではないことで、第二に月報と重複する部分が多く、月報をレベルアップして記録集は発行を見合わせようということでした。また’82年当時は山スキーが広く一般に普及し始め、ガイドや記録の入手が比較的容易になったということも第3号が長い間発行されなかった理由としてあげることができます。
 しかし、7年の年月はいかにも長く、最近では若い会員の間から第2号以降の記録がなかなか見られないという意見が聞かれ、月報ではカバーしきれない状況にもなってしまったようです。そこで重い腰をあげて、ら・ねーじゅ第3号を発行しようということになったのです。ひと口に7年といっても、その間ずっと活動を続けていた訳ですし、記録の数も多く、当会の活動内容もいろいろ変わってしまったりで、ルートの選定にはいろいろな苦労があったようです。第3号は山スキーの記録集一色にしようということになりました。これは当会の最近の活動の形に一番ふさわしいと思ったからです。従って’82年以降しばらく続いたオフの沢登り等の記録は全てバッサリ切り捨ててしまいました。
 第3号は最近のワープロの普及が当会にも及んで、ワープロによる原稿も採用せざるを得ませんでした。その結果手書きとワープロとの原稿が混在してしまい、結果として多少読みづらい面があるかも知れません。また当初原稿用紙を指定したり、サイズの制限等も徹底したつもりでしたが、実際にはサイズオーバーの原稿があり、縮小の結果文字が小さくなってしまったものがあり、これも多少読みづらいかも知れませんがご容赦願います。
 第2号の活動報告の中で当会の発足母体である東京スキー協を脱退して、労山に加盟して山の会としての基盤をつくってゆく云々という記述がありましたが、その労山も既に脱退してしまいました。山スキーを中心にして活動を続けていくうえでは労山にしろ岳連にしろ当会にとってはメリットが少ないということで、現在では上部団体へは加盟していません。労山から脱退した時は山岳保険が若干不安でしたが、会員の島田氏が安田火災の代理店を経営しており、安田火災の山岳保険に加入することで問題はなくなりました。現在のところヘリ出動に関する支給実績も問題はありません。
 現在では山スキー専門のクラブといった傾向が強く、しばらくは会の活動としては山スキーだけになりそうですが、潜在的にはオフも山へ行っている会員が多いようです。しかしオフの山行は沢登りにしろ、ハイキングにしろ、縦走にしろ、会員の中での好みが大分違っていて会としての活動にするためにはかなりむづかしそうですが年に何回かは意見をまとめてみようとも思っております。

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