Last Update : Mar 31, 1999 (概念図 追加)
      Dec 25, 1997
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ラ・ネージュ山スキー記録集III 


  発行日 1989年12月25日

La Haute Route(1)         

《CHAMONIX→ZERMATT》              

                        1987年4月25日〜5月7日 
       メンバー:寺井 功(アウトドアーズクラブ)、山田真弓(RSSA) 
            遠山友樹、岡坂準一、菅沼 博(以上山スキー同志会)   


 連続した晴天に恵まれ憧れのオートルートCHAMONIX→ZERMATT間のスキー縦走が満喫できた。しかし、後半に予定したZAAS FEEへのアドラーパス越えや、モンテローザ滑降等は降雪に見舞われ、残念ながら断念した。
 全日程は13日間だが往復に5日かかり、山行にかけられる日数はたった8日に過ぎない。
 結果的には連日の晴天で予備日は使用しなかったが、3日目のバレーブランシュは省略してもよさそうに思った。我々はガイド(白野民樹氏)をお願いしたので荷物が軽く、日が長いので思ったより長時間の行動が可能だった。1日目はアルジェンチエール小屋、2日目はモンホー小屋を目標にすると良いようだ。


 日程  及び  行程  
 1 4/25 午後、箱崎集合 夕刻成田発 ソウル経由でチューリヒへ      
 2   26 約24時間かかり午前チューリヒ着 バスにてシャモニへ      
 3   27 バレーブランシュ滑降                      
 4   28 午後3時バスとケーブルでグラモンテへ アルジェンチエール小屋泊 
 5   29 シャルドネのコル→サレイナの窓→エカンディのコル→シャンペ→  
        →モンホー小屋                         
 6   30 ショーのコル→コルドクリューソン→コルドセブロー→ディス小屋  
 7 5/01 コルドブレネイ→ピンダローラ→ビニエット小屋          
 8   02 コルドレベック→モンブリューレのコル→コルドバルプリン→ ツェルマット
 9   03 ツェルマット→ゴルナーグラート→シュトックホルン→ツェルマット 
        (予備日)                           
10   04 ツェルマット→インターラーケン→グリンデルワルト (予備日)  
11   05 グリンデルワルト→ベルン→チューリッヒ             
12   06 正午チューリッヒ発、ソウル経由にて帰国の途に。         
13   07 午後9時過ぎに成田着                      
14   08 疲れた体にムチ打って泣く泣くの出勤               


4月25日〜26日 東京→シャモニ
 25日昼過ぎに箱崎ターミナルに集合し、夕刻成田から出発した。ソウルで大阪からの遠山氏、寺井氏と合流し、メンバー全員が揃った。ソウルから長駆チューリヒへ。残念ながら機中からアルプスの山々は見ることができなかった。ほぼ満席の飛行機に約24時間はマイってしまった。手配のバスでシャモニへ。機内食都合6回、酒はあまりたくさんは飲めないがタダなのがなによりだった。
 シャモニには4時間程で着き、ガイドの白野氏との打合せや明日のバレーブランシュの打合せ等を行った。興奮の第1夜、ぐっすりねむれた者とそうでなかった者いろいろだった。

4月27日 バレーブランシュ滑降
 朝ホテル発。歩いてケーブル駅へ。ジル ボタンが今日のメインガイドで、雨宮パーティー、都職パーティ、 僕らと今日は総勢30名近い。  ケーブル2本を乗り継ぎエギュードミディへ楽に登る。ここは既に富士山より高く今山行中の最高地点だった。
 細い急な尾根をロープにしっかりとつかまって、滑降開始地点へ。この氷河は傾斜がゆるく、大勢でドッと滑る。途中のクレバス帯ではいろいろと細かい注意がある。僕らはガイドのジルのすぐ後を滑ったが、人数の多さには閉口した。こんな事も今日だけだと思えば気も楽に滑れる。人数のせいか大分時間がかかり、午前中のつもりが、シャモニへ帰ったのは3時を過ぎてしまった。ガイド料200Frを一人150Frにまけてくれた。その他に一人70Frのケーブル代がかかった。ガイド料は少し高いように思った。

4月28日 午後オートルートへ入山→アルジェンチェール小屋
 朝ホテル前で、雨宮、都職パーティを見送る。快晴の朝の見送りはあまり気分が良いものではない。僕らはガイドの白野氏の仕事の都合で、午後3時に出発し、彼らを追いかけることになる。
 午前中に行動食の買い出しと余分な荷物をVISP駅へ送る手続きをした。これが何と17Kgもあった。
 午後3時ジャストに教会前のバス停でガイドの白野氏と連れの笹川氏と合流する。バスでアルジェンチェールロープウエーへ。ケーブルで一気に3、200mのエギュードグラモンテへ登る。念願のオートルートの第一歩だ。4時過ぎだというのに陽はまだ高い。コルの上では水着で何かの撮影をしていた。
 記念すべき第一歩は、アルジェンチェール氷河への何とコブの斜面だった。目を皿のようにグルグル廻してパウダーを探すのだが、どこにもそんなものは無かった。対岸には明日登るシャルドネ氷河とシュプールが良く見える。あまり傾斜は強くなさそうだ。まさにアルペン的な景観の真只中にいるだけあって、日本とはスケールが桁違いだ。
 ゆっくりアルジェンチェール氷河へ滑りおり、シールを着けて1時間程でアルジェンチェール小屋へ着く。さすがフランスと思わせるシャレたデザインの小屋だった。   
 午後9時頃まで明るいのでシールや靴を乾かした。早速ビールでオートルート入山の乾杯をする。食事の度にワインを飲むというのは、いい習慣だ。ここの小屋はデザートまあって至れり尽せりの食事で満足できた。この日小屋は一杯で狭いベッドで、なかなか眠れない者がいたようだ。

4月29日 アルジェンチェール小屋→モンホー小屋
 パンとコーヒーだけの超簡単な朝食を済ませ、6時半過ぎに出発する。小屋の直下は急なアイスバーンで神経を使う。 コリコリのアルジェンチェール氷河をひと滑りで、シャルドネ氷河の登り口に着く。下部の急斜面はスキーをザックに着けつぼ足で登る。ひと登りした所からはシールとクトーで登る。上部は傾斜がゆるくなり助かる。振り返ると昨日滑ったグラモンテのコルが良く見える。 朝日の中を登るようになるとすぐにシャルドネのコルだ。狭いコルで、先着の外国人パーティがおり満員だ。
 サレイナ氷河側は相当な急斜面で横滑りのシュプールが残っている。右手にはつぼ足のトレールがあって、シャモニのガイドが救助訓練をしている。先着の外人(?)パーティはスキーをザックに着け、アイゼンをはいている。どうもアイゼンとピッケルで下るらしい。僕らと言えばスキーでおりるより外はないので、オレンジでも食べながら順番を待つ。
 ガイドの白野氏がトップで滑りおりる。度胸を据えてガイドに続く。本当に急斜面でコワイのでなかなかおりられない。やはりザイルが欲しいと思う所だ。40m程で急斜面は終るのだが、時間がやたら長く感じられた。ここでハプニング、遠山氏が途中で転倒、まさにゴロゴロといった感じで転げ落ちた。幸いすぐ下のパーティの荷物とスキーにぶつかって止まった。何のケガも無く、少し休んでからサレイナの窓への登り口まで滑る。サレイナの窓へはシールを使うが、最後の急斜面はトラーゲンして登る。あとで降旗氏から、ここはトラーゲンをしないで登って欲しいと言われてしまった。
 窓の上はトリエンプラトーの一端で、傾斜のゆるいダダッ広い斜面が続いている。トリエンの小屋を右手に見ながらエカンディのコルを目指す。途中アイスバーンの急斜面がありずっと横滑りが続く。下部で先行の英国人パーティがアイゼンにかえており不安定な姿勢のまま小1時間も待たされてしまった。ここでは15m程アンザイレンをして横滑りでおりた。氷河の舌端部分ですぐ横にセラックやクレバスがあったりして全く気が抜けなかった。エカンディのコルに着いた時にはドッと疲れが出てしまった。でもあとは滑るだけだからと自分に言い聞かせたりした。
 シャンペへのアルペティ谷は本コースでも有数の滑降が楽しめるコースと踏んでいたのだが、連日の晴天と人数で斜面はズタズタでまさに典型的な悪雪だ。上部はそれでもジャンプターンで滑ったり楽しむ努力をしたのだが、何せ長いので下の方は疲れないように、疲れないようにとただ滑るだけだった。アルペティのシャーレでひと休み。暑い日はビールに限る。ここでタクシーを手配し時間に合わせて林道をスキー場まで下る。
 スキー場で荷物をまとめている間にタクシーが登って来た。ルシャーブルまで100Frで、ベルビエ迄だと130Frとのことで、急いでいるのでベルビエまで乗せてもらう。どうも白タクのようで、料金は先払いで、飛ばしたこと。 約1時間のつもりが35分程でベルビエに着いてしまった。最終のロープウェイまで時間があるのでスーパーへ行動食を買いに行ったが、このスーパーが遠かった。
 ベルビエからケーブルでアテラスへ登る。ここからはモンホー小屋まで滑って行ける。モンホー小屋にはシャモニで別れた名古屋のパーティがいた。雨宮、都職パーティの姿は無く、シャンペの日本人がどうもそうだったらしい。
 正面にはショーのコルが見え、その左側では新しいロープウェイの工事をしている。もっと楽になりそうな気がする。

4月30日 モンホー小屋→ディス小屋
 モンホー小屋の朝は早い。3時に起き、朝食をとり、4時には出発だ。ヘッドランプをつけてショーのコルを目指す。名古屋のパーティが先行している。暗いので傾斜感覚がはっきりしない。コルに着く頃に丁度明るくなる。ショーのコルは狭い。先着の名古屋パーティや外人パーティやらで満員だ。先着のパーティがアイスバーンを横滑りで滑って行く。今日は先がうんと長いので僕らも続く。登り返しの2750m付近は白い斜面が入り込んでいてわかりづらい。シールを着けコルドマモンへ登る。コルドマモンへの登りは短く楽だ。広いコルで反対側の氷河へすぐに続いておりコルといってもその感じはしない。前方にはローザブランシュが見え、足元から傾斜のゆるい氷河が山頂の方へ続いている。コルドマモンのすぐ隣がコルドクリューソンだ。初めはローザブランシュへ登る予定だったが、雪が安定しているようで、ローザブランシュを巻いてセブローのコルへ登ることにする。今日は天気が良くなくて、全体的に雲が多く、時々雨が降ったり、雪が舞ったりしてヤッケの着脱が面倒だ。トラバースの途中で大きなデブリを2つ越える。そこで白野氏のストックが1本折れてしまい、修理に時間が掛かった。ここで名古屋のパーティが先行する。
 コルドセブローからはディス湖への下りだ。今オートルート中で初めてスキーのトップを下へ向けて滑れる所といえそうだ。雪質も良く快適に滑る。晴れていなくて残念だが、晴れていないからの雪質だろうから何とも言えない。 2600m付近からはパドシャーへ向って右へトラバースしながら下る。長い長いトラバースだ。デブリが多く、晴れていたなら全くイヤな所だ。今日は幸いにも曇天なので、たいした心配も無く無事通過できた。パドシャーでは大休止となった。
 ディス小屋への登りを残すだけとなった所で、皮肉なことに晴れてきた。長くて苦しい登りだが今日最後の登りなので頑張って登る。暑い中大汗をかきながら、水をガブガブ飲みながら黙々と歩く。ここで元気組の山田、岡坂、菅沼とそうでない寺井、遠山組の2つに別れてしまい、ディス小屋への到着が小1時間違ってしまった。小屋の周りには絶好のスロープが広がっているのだが、疲れきった身体には興味がわかない。シールや靴を乾かし、量が多い行動食を整理したりでヒマをつぶす。この日の午後は長かった。名古屋のパーティは寝てる人もいたが、僕らはわりと元気にウロウロしていた。

5月1日 ディス小屋→ビニエット小屋
 今日はピンダローラを越えるだけ。割と楽な1日となりそうだ。ゆっくりでいいのかと思っていたが、5時には起され、6時には出発だ。モンブラン・ド・シェイロンを右手に見ながらアイスバーンの氷河を登る。日陰側なので空気が冷たい。風が吹くと軍手では少し手が冷たくなる。3423mのコルに着くと陽が当っており風も無く、さっきまでの寒さがウソのようだ。目指すピンダローラが高い。右手の稜線を早い人が登っている。ピンダローラの左手遠くに遂にマッターホルンが特徴のある姿で現われた。知っている名前の山が見えるというのも気が休まる思いがした。急な斜面を登るとピンダローラに続く大雪原状のコルに出る。ブレネイのコルだ。太陽もすっかり昇り、風も無くまったく暑い。
 広いコルでは軽飛行機が何回も発着しながら訓練しているようだ。ピンダローラの肩にはヘリが着き、どうもヘリスキーらしい。 それらしいガイドと客がピンダローラに登って行く。 ピンダローラは厚い氷河の氷に覆われており、実質的には3800mを越えているだろう。僕らも白野氏にビデオを渡し、今山行の最高点へ登る。頂上からはアローラ方面へは急に切れ落ちており、はるか遠くにマッターホルンが見える。充分展望を楽しんだ後、白野氏へ向って最高地点でのスキーを楽しむ。
 ピンダローラの肩からは広い斜面を滑ってビニエット小屋へ下る。ここは雪質といい斜面の手頃さといいベリーグーだった。 途中で左へ廻り込む所があり、下を見ると、すごい崖の上に小屋が立っているのが見える。ここで注意しないとレベック方面の広い斜面へ迷い込んでしまう。実際名古屋の人が一人滑ってしまい、ガイドがさがしに行った。ただ、知っていれば戻ればいいだけのことだが。
 ビニエット小屋は広場も無く小屋も狭く、あり余った時間をつぶすのが大変だった。また今日から3日間の連休とのことで、アローラ谷から大勢が登って来る。

5月2日 ビニエット小屋→ツェルマット
 今日はいよいよツェルマットへ下る日だ。良く天気が続いたものだ。今日も上々の天気だ。6時半頃出発する。小屋から少しスキーを持って歩き、それからコルへ滑る。レベックのコルへの登りは傾斜もゆるく最初の登りでもあり、あっけなかった。コルからはアイスバーン気味のアローラ氷河をブクタン小屋付近まで滑る。ここはクレバスが多く、ガイドの口がやかましい。滑り易いいい斜面だった。
 再びシールでモンブリューレのコルを目指す。広い氷河の横断ですでにバテ気味だ。コル直下はアイスバーンなのと急なので足が疲れる。モンブリューレのコルからは最後のコルのバルプリンのコルが良く見えるが、まだまだ遠い。その横にマッターホルンがそびえている。コルからひと滑りで、いよいよ最後の登りだ。傾斜のゆるい氷河だが、乱氷帯があったり、クレバスがあったりでおどろいてしまう。近づくにしたがってマッターホルンが大きく見え始める。一歩一歩登ってだんだんとマッターホルンが全容を現してくる。バルプリンのコルは広くてゆっくり休むのに都合がいい。
 ゆっくり休んだ後はツェルマットへの長い長い下りがあるだけだ。上部は気持良く滑れるのだが、中間部より下は悪雪そのものだった。途中でセラックのすぐ横を滑らせてもらったが、ガイドもいろいろ気を使っているようでありがたい。ツムット氷河へ入ってマッターホルンの北壁の下を滑る。一日中陽が当らないようで、アイスバーンになっている。対岸の小高い所にションビエール小屋が見える。北壁の下では落石に肝を冷しあわてて通過した。何とか雪をひろいながらシュッタフェルアルプの少し上まで滑ることができた。振り返るとバルプリンのコルがはるかかなたに見える。シュタッフェルアルプへ少し歩き、売店の所で休む。少し早いがビールで乾杯をする。時々スキーヤーが滑って行くので、まだ滑れるのを知る。
 我々もフーリーへ向って最後の滑りに移る。狭い林間の滑降で雪質も悪く、雪があるだけメッケもんといった感じだ。フーリーの少し手前の道路でとうとう終りになってしまった。フーリーからはケーブルでツェルマットの町へおりる。
 町は大変にぎわっており、何と泊まろうとした安ホテルに部屋がない。白野氏の顔でこの日はホテルバンホフのおばあちゃんの家に泊めてもらう。町からはマッターホルンが見えず、明日からの天気が気になる。

5月3日 ツェルマット→シュトックホルン→ツェルマット
 朝起きると小雨が降っている。とりあえず荷物を持って集合場所のバンホフへ向かう。打合せの結果とりあえず登ることになった。登山電車でゴルナーグラートへ登り、ケーブルでシュトックホルン直下迄登る。稜線は雲が多い。アドラーパスだけは良く見える。シュトックホルンからひと滑りし、シールを着けて登り始めた所で、天候が良くなりそうもないので中止になった。あとは傾斜のゆるい氷河を快適に滑ってツェルマットへ戻る予定だったが。途中からは降雪と悪雪に悩まされ、おまけに雷まで鳴り出し、リッフェルアルプに着いた時には本当にほっとした。そこからは電車でツェルマットへ戻った。

5月4日〜7日 ツェルマット→グリンデルワルト→東京
 今日はツェルマットを出発しグリンデルワルトへ向かう。途中ビスプで荷物を受取る予定だったが、着いておらず日本へ送ってもらう手続きをする。グリンデルワルト着は夜になってしまった。翌日ベントのピッケルを頼んでチューリッヒへ戻る。
 6日は早めに空港へ行き、早めにチェックインを済ませる。ここでエベレストガイドの降旗氏に会い、帰りの機中でいろいろ有益な話を伺うことができた。再び24時間機中の人となって、ただひたすら食べ飲み話し、ソウル経由で日本へ帰国した。

<注>地名の読み方は人によって大分違いがあり、僕自身がそれらしいと思った通りに書いた。


【概念図】




【コースタイム】 
4/28 快晴
 グラモンテ下15:30→(ケーブル)→エギュードグラモンテのコル15:55/16:05 
 →アルジェンチェール氷河16:30/:45→アルジェンチェール小屋 17:35

4/29 快晴→晴れ
 小屋6:35→登り口6:50/7:00→シャルドネのコル9:20/:30→  
 コル下9:40/:50→サレイナの窓登り口10:00/:10→サレイナの窓  
 10:50/11:15→エカンディのコル上(1h)アンザイレン→エカンディのコル
 12:50/13:10→アルペティ13:50/14:30→シャンペスキー場 14:40/15:00 →(タクシー)→ベルビエ15:40/16:20→ アテラス17:00→モンホー小屋17:25

4/30 曇りのち雪のち晴れ
 小屋4:00→ショーのコル5:50/6:00→2700m6:15/:30→  
 コルドモマン7:10/:25→コルドクリューソー7:35/:40→2880m 8:15/:40   →セブローのコル9:15/:30→パドシャー10:35/11:10→ディス小屋13:45

5/1 快晴
 小屋6:10→3423mコル8:20/:40→ピンダローラ肩10:20/11:10 → 
 ピンダローラ往復→ビニエット小屋11:50

5/2 快晴のち晴れ 
 小屋6:25→レベックのコル7:10/:20→ブクタン小屋付近7:40/8:00 →
 モンブリューレのコル9:00/:20→ブァルプリンのコル11:45/12:15 → 
 シュタッフェルアルプ14:10/:30→ツェルマット15:40  

5/3 雨のち曇り/雪
 ツェルマット8:00→(電車/ケーブル)→シュトックホルン10:00/:30 
 →コル下10:40→リッフェルアルプ13:30→ツェルマット14:30    

                                 (菅沼 記) 
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使用装備について                

 オートルートに必要な装備については、ガイド付で行うのか、ガイドレスで行うのかによって持参する装備は異る。
 今回はガイド付で行ったため、別紙一覧表の装備リストを持参した。国内の日帰りスキー登山とほぼ同程度の重量(5〜6Kg)であった。ガイドレスで行く場合は、別紙装備の他、個人装備として、ウエストベルト、アイゼン、共同装備として、ピッケルを最低1本 ザイル(7〜8mm)40メートルを1本、ツエルト1張、ガスコンロ1台 小型コッヘル1組などが必要となる。これらの装備ほ、今回すべて、ガイドの白野氏が持参した。
 尚、国内より持参した、旅行用品 スキーケースなど、直接オートルートに必要ない荷物については、当初すべて持参するつもりであったが、5人分の不要な荷物を集めてみると、17Kg以上にもなったので、4月29日AMシャモニからビスプまで駅止め(郵便局止めとなっていた。)で送付することにした。
 ツエルマット止め、にしなかったのは、万一天候が悪くなり、ッエルマットまで行けなく、アローラへ下りることとなっても、ビスプ駅は通るので、荷物の受取が便利だと考えた訳である。 
 しかしツェルマットへ下山2日後の5月4日にビスプへ荷物の受取に行ってみると、まだ荷物は届いていなかった。シャモニ〜ビスプ間は、電車で5〜6時間と近いが、フランスからスイスへ送付することとなるので、税関検査などがあるため、フランスから発送した荷物は、一旦、一ヵ所に集積されてから目的地へ発送するため、こちらへ届くのに7〜8日程度必要とのことだった。
 今後荷物を送付する場合は、シャモニから電車でスイス国境の町まで行き、そこから荷物を発送するか、又はシャモニの運道具店(スネルスポーツなど)に預かってもらい、とりに戻ることをお薦めする。
 結局われわれの荷物は、いつ届くかの保証がないので、ビスプの郵使局にお願いして、船便で送付頂くように依頼した。

                                 (岡坂 記)

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