ラ・ネージュ山スキー記録集III発行日 1989年12月25日 |
富士 新五合目より 1985年4月13〜14日 参加者 総勢18名 噴火口底到達者 石垣 隆宜 西川 克之 手塚 紀恵子 遠山 友樹 銀命水到達者 菅沼 博 伊藤 久美子 今野 桂子(新姓:石垣) 作野 晃一 古川 真知子(新姓:重田) 矢野 勝司 木村 田村 沢 浩一 白沢 光代 黒沢 せい子(ゲスト:仙台在住) 9.5合目到達者 伊藤 碩志 8合目到達者 陶山 泰 馬場 修爾 当初は5、6人で小じんまりとした山行のつもりでいたのだが、ひょんなことから雪訓込みの大パーティとなった。ちなみに今回の行動の概略は次の通り。 4月13日 曇り 6:00 三島を3台の車(菅沼・馬場・木村運転)で出発。 8:30 ガスがあるが14人で頂上目指して駐車場を出発。ところがガスで登頂断念。 9合目到達者 石垣・沢・西川・黒沢 8合目到達者 馬場・伊藤久・作野・田村・陶山・矢野・木村・遠山 高山病患者 若干名 14:00 8合目より滑降開始。雪がベタベタ(4月12・13日に新雪が降った)で、おまけにガスもあったが、大斜面の大滑降を満喫。 15:30 駐車場 22:00 後発4人組到着。 4月14日 午前中のみ快晴 6:00 火傷患者1人を残して17人で登頂を目指し、出発。 トップグループ・なんとなく中間組・落ちこぼれ組の各グループに 別れて大斜面に散った。その後の各自の到達位置は上記の通りであった。 13:00 銀命水より大滑降開始。 14:30 駐車場 4台の車に分乗して下山。運転手のみなさんご苦労さんでした。 3回登頂しての感想 雪の量 4月下旬が一番雪が多く滑るのには最高。たまたまテレビで富士山の雪量について天気予報の時にやっていたが良く一致している。2回目の去年は4月20日頃だったが雪は今回より少なく、良く締まっていて滑り易かった。銀命水から完全に滑れたのは今回が初めてであった。1回目は5月であったが、6合目までしか雪がなく、表富士は4月に滑るのがベターだということがわかった。 登頂 土曜日に頂上まで登るのは運動不足の体調では少ししんどい。今までは3回共日曜日に登頂できた。非常に運が良かったと思う。おおいに満足。これからも年に一度は滑りたいものだ。 噴火口 今回は念願の火口底まで滑り降りることができた。3度目のなんとかで非常に満足。 特別参加者 黒沢せい子氏からのメッセージ 「帰宅してから顔が腫れ上がりました。月曜の朝は唇がめくれ上がり鼻をふさぐほどでした。普通の3〜4倍くらいでしょうか。マスクの大きさ位です。ただいま病院通いをしております。病院でも前代未聞とのことで、いい見世物になってしまいました。治るかどうか不安です。 なにをかくそう。筆者も月曜は顔がむくんで休んでしまったのだ。とにかく今回は高山病患者・火傷患者・雪めくら患者・カメラ落とし人と色々なアクシデントでたいへんであった。 (遠山 友樹記) 【概念図】 ![]() ![]() |