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ラ・ネージュ山スキー記録集III 


  発行日 1989年12月25日

北アルプス縦走 1                

北アルプス   立山より槍ケ岳縦走                      

                        1988年4月29日〜5月4日 
        メンバー:L遠山友樹、加藤康男、林達夫(駒草山岳会)、岡坂準一 

 立山から槍ケ岳を経て、上高地までのツアーコースをジャパンオートルートと呼ぶ。山小屋の完備した、本場のオートルートと違い、氷河こそないが、露営用具、炊事用具、食料などを持参しなければならず、ヨーロッパのオートルートと比べ、はるかに体力を要する。
 我々は、4月29日より5月5日までの7日間(停滞日3日含む。)の予定で、立山より上高地を目指し、富山より入山した。メンバーは入会以来、いっしょに行く機会が多かった加藤氏、遠山氏の2人と遠山氏の友人で名古屋在住の林達夫氏の4人で行くこととなった。結果的には、停滞したのは、入山日の29日のみで、後は天候に恵まれ、連日行動することができ、下記の日程で、5月3日無事上高地へ下山することができた。

行動日程
1日目  4月29日   室堂〜一の越 一の越山荘泊 悪天のため停滞   
2日目  4月30日   一の越〜越中沢岳のコル ツエルトビバーク    
3日目  5月 1日   越中沢岳のコル〜太郎平小屋 太郎平小屋泊    
4日目  5月 2日   太郎平小屋〜三俣蓮華岳稜線 ツエルトビバーク  
5日目  5月 3日   三俣蓮華岳稜線ビバーク地〜槍ケ岳経由上高地下山 
             上高地日本山岳会研修所泊            
             遠山氏は双六より新穂高へ下山          
6日目  5月4日    上高地より帰宅                 


詳細は以下の通り。

4月29日(金)  雨 
 早朝、加藤氏と2人で富山駅に着いてみると、やはり天気予報通り雨。駅待合室にて遠山氏、林氏と合流。立山方面の始発電車に乗り、ケーブル、バスを乗り継ぎ、室堂に9時過ぎに着いた。しばらくは室堂ターミナルで休んでいたが、天気予報では益々悪くなる様子なので、とりあえず一の越まで登ろうということとなった。登山届を提出した後、小雨の中シールを付け出発する。雪の量は例年と同じか又は少し多い程度の感じがする。約50分で一の越山荘に到着した。風が強く、とてもツエルトビバークする気になれないので、素泊り(3500円)で小屋に泊まることとする。          
 小屋の食堂のストーブで雑談しながら、明日からの行程を話し合う。天気予報では、明日午前中より回復するようなので、スゴ乗越あたりまでは、行けるのではないかと思った。本日は停滞日みたいなものなので、することがない。夕食を5時前に済まし、7時過ぎには、私以外は全員眠ってしまった。天候は夜半より、風雨が益々強くなった。

【コースタイム】
室堂出発 10:00 −> 一の越山荘 11:50


4月30日(土)  晴
 5時に起き、外を見ると依然小雨でガス多く視界不良。とても行動できる状況でないので、小屋で天候の回復を待つ。9時過ぎ頃、急に青空が広がり始めてきた。いそいで出発の準備をととのえ、一の越を出発する。龍王岳の通過は、御山谷を標高差200メートル程すべり、龍王岳と鬼岳のコルに登りかえす。右側の龍王岳側斜面より、いくつかのデブリが見られる。稜線までのルートは、遠山氏の意見通り雪が比較的安定している。
 鬼岳側をガスの中、急いで登る。稜線のコルにつく頃、ガスも晴れてきて青空が広がりはじめた。コルにて一休みした後、鬼岳までは、ザックにスキーを付け登る。鬼岳より再びスキーを付け獅岳へ、獅岳からザラ峠までは、標高差630メートルの1枚バーンで、スキーが楽しめる所であるが、本日は雪が思いので、無理をせず、斜滑降で1人1人雪崩に注意しながら滑りおりる。滑りおりた所がザラ峠でここでしばらく休み、五色ヶ原への緩い登りにかかる。五色ヶ原山荘付近は広大な高原で、ガスがあるとルートファインディングがむつかしい所だ。
 五色ヶ原も2つのヒュッテは雪に埋まり、もちろんオープンはしていなかった。五色ヶ原のどちらかの小屋が5月の連休時だけでも営業していれば、ジャパンオートルートも本場のオートルートのように軽い荷物で気軽にツアーを楽しめるのにと思う。五色ヶ原山荘前で休んでいたところ、ガスがでてきた。鳶岳まではガスの中、ほぼ先行者のシュプール通りに歩き山頂に登る。この頃には、朝方ザラ峠まで何パーティか他の登山者がいたが、どういう訳か、我々のみとなった。鳶岳山頂でシールを外し、ほぼ稜線づたいに滑るというより、スキーで下りるという感じで、越中沢岳の2356mのコルまで下りる。今日中にスゴ乗越まで行きたかったが、時間も4時近く、疲れていたので、ここでビバークとする。テントサイトをスコップで整地して、2張のツエルトをはる。16時に天気図をとったが、明日も晴天のようだ。本日は一日非常に暖かく、シュラフに入ると暑い程であった。ラジオのニュースで富山ではフェーン現象で気温が30度以上になったことを知った。

【コースタイム】 
一の越出発9:30 −> 越中沢岳のコル(2356m)ビバーク地15:40   


5月1日(日)  晴
 遠山氏の「4時半だ起きようか」の声に目がさめた。本日は全日程で一番長く苦しい登りが予測される。スゴ乗越から先は、薬師岳までひたすら登るだけである。5時40分にビバーク地を後にする。シールをきかし、越中沢岳の緩い斜面を登る。越中沢岳よりは尾根が痩せていて非常に急である。私と加藤氏が横滑りで下りたが、ここはピッケル、アイゼンで下りるような斜面であった。斜面がクラストしており、スリップすればかなりダメージをうけるような斜面であった。急な斜面を慎重に高度差100メートル程下りたち、黒部側の斜面を少しトラバースしたコルで一休みする。ここからスゴの頭までは全然スキーは使えない。スキーを担ぎ痩せた稜線を進む。立山から槍ケ岳までのコースの内、まったくスキーが使えないなあと感じたのは、越中沢岳からスゴの頭までのこの部分と西鎌尾根の登りの2ケ所だけであった。
 スゴの頭からは、標高差250mの適当に急な斜面が続き、本山行中初めてスキーが楽しめた。ジャンプウエーデルンでゆっくりとスキーを楽しみながら、スゴ乗越まで滑る。スゴ乗越着8時35分。
 ここから薬師の山頂を越えるのが、今山行中一番辛い登りであった。コルから一登りすると、スゴ乗越の小屋が樹林帯の中にあった。この小屋も屋根以外は雪に覆われていて使用できそうもなかった。小屋からは広々とした、樹林帯の中を登る。樹林帯を抜け出て少し登ると、標高2585mの間山山頂である。立山方面を振り返ると、美女平から弥陀ケ原の高原がすぐ近くに見え、槍ケ岳まではまだまだ遠いなあと思う。 
 ここまでは全員それほど疲れてはいなかった。間山から北薬師の稜線の登りでは有峰湖がよく見え、遠山さんに「オートルート途中にあるデイス湖みたいだなあ」と喋りながら登っていった。北薬師に着くころから、天候も晴れからくもりに変わり、登るペースもガクンと落ちてしまった。林氏以外は全員息も絶えだえで薬師の頂上に着いた。当然、薬師山頂より滑れると思っていたのだが、そうではなく少し稜線をシールを付けて歩いた避難小屋上部より、薬師の大斜面を滑る。本日はまだ視界がいいので、問題ないがガスられると、太郎小屋までのルートを見失う恐れがある。そのせいか所々に赤札の標識があった。
 樹林帯の中に入ると雪質が悪くなったがほとんど休まず、薬師峠まで滑りおりる。ここまで来ると後は太郎の小屋まで30分程度だし、悪天候になっても大丈夫なので、コンロを出し大休止とする。甘い紅茶がおいしい。
 太郎平の小屋に16時45分に到着した。太郎の小屋では、2月の青田難波山、黒姫山をいっしょだった(RSSA祭)坂野好子さんが小屋を手伝っており、偶然お会いした。夕食後坂野さんより、色々な情報を得る。5月の連休は毎年太郎平の小屋に入ってこの付近でスキーツアーを楽しんでいるとのこと。
 小屋の夕食も大変おいしく、部屋の窓からは薬師岳が見える雰囲気もいい。本日この小屋に泊まったおかげで、全員かなり体力が回復したようだ。機会があれば、この小屋をベースにスキーを楽しみたいものだと思う。 

【コースタイム】                             
越中沢岳 ビバーク地 5:40 −> スゴ乗越 8:35/9:05 −>    
薬師岳山頂 14:40/15:15 −> 薬師峠 15:45/16:25 
太郎平小屋 16:45                             


5月2日(月)  早朝雨ノチ晴
 朝の雨があがるのを待っていたら、出発は10時になってしまった。計画時の予定では、本日は双六までとしたが、出発が遅くなったので黒部五郎の冬季小屋までとする。小屋の窓から坂野さんに見送られ、北の俣岳へ向かって出発する。しばらく登ると、蔵田さん、白沢さんが上から滑り下りてきた。偶然に出会う。彼女たちは、昨夜は雨のため北の俣岳稜線近くの避難小屋でビバークしていたとのこと。北の俣岳頂上までは緩やかな斜面が続く。
 昨日、薬師の登りで疲れ気味であった遠山氏も太郎の小屋ですっかり疲労が回復したらしく、北の俣岳まで一度も休まず、1時間30分で快調に登り着く。頂上は風が強いので、休憩は黒部五郎の登り口のコル(中俣乗越)でとることとして、シールを外し、長い斜滑降で中俣乗越まで滑る。
 うしろを振り向けば昨日滑った薬師の大斜面が見え、谷(黒部川)を隔てた東には雲の平がよく見える。遠山氏が「このあたりが北アルプスのへそだよ」と言っているのも実感として納得。いつの日か太郎の小屋あたりをベースにして、このあらりの斜面を滑ってみたいものだと思った。
 中俣乗越にて、ふたたびシールを付け、黒部五郎岳までの標高差約450mの登りにかかる。シールをきかし遠山氏を先頭にゆっくり登る。14時15分、黒部五郎岳頂上着。頂上には我々の外1パーティ2人がいた。彼らより槍ケ岳をバックに全員で記念写真をとってもらう。
 黒部五郎の斜面は、カールを滑るのと、稜線を滑る2つのルートがある。カール側は雪の状態が安定していなく、いくすじかのデブリのあとが見られる。どちらを滑るか迷うことなく、頂上から東にのびる稜線を滑り、途中からカールに滑りおりる。カールの入口の急斜面は思ったより雪質が悪く、私は大転倒してヒザを少しヒネってしまった。 本日予定していた黒部五郎冬季小屋には、15時に着いた。さて前進するかここで泊まるか全員で協議した。とても双六の小屋までは行けそうもないが、ここで泊まるのには時間が余っている。後2時間ぐらいは行動できそうである。明日の行程を考えたら、できるだけ前進しておいた方が楽だとの結論で、稜線(2661メートル)まで登り三俣山荘まで行くこととした。
 明日の天気が気になるので、4時の天気図をとらねばならない。そこで体力抜群の林氏に先に行ってもらい、天気図をとってもらうこととした。3人で三俣蓮華岳の斜面をゆっくり登っていったが、気温が高いため雪が重く、シール登行に苦労する。しかし、稜線に登るにつれ雪面もしだいに固くなってきた。
 遠山氏より「後1時間もすれば、完全なアイスバーンになる」の意見で、三俣山荘まで行くのは危険と判断し、本日はここ(三俣蓮華岳200m下の稜線)でビバークすることとした。幸い明日は1日は持ちそうに予想される。
 かつて土方のアルバイトをしていたという、遠山氏のスコップの使い方は抜群で、またたく間に防風用のブロックを積み上げて快適なビバークサイトとなった。本日のビバークは、好天のためか、気温が低く、入山以来一番寒い夜であった。 

【コースタイム】 
太郎平小屋出発 10:10 −> 北ノ俣岳頂上 11:45 −> 中ノ俣乗越 12:20
 −> 黒部五郎岳頂上 14:15/30 −> 黒部五郎岳冬季小屋 15:00/20 
−> ビバーク地(稜線2660m)16:30


5月3日(火)  晴後夕方より雨                        
 朝の雨があがるのを待っていたら、出発は10時になってしまった。計画時の予定で 昨夜は風も強くなく、寒くはあったが快適なビバークであった。4時の起床予定だったが、4時半過ぎに起きた。まずはコンロに着火しコーヒーをのむ。本日中に槍ケ岳を経由して上高地まで下山する予定であるが、遠山氏は槍沢は何度も滑ったので、双六より新穂高へ下山したいとのことなので、上高地へは3人で行くこととした。ビバークサイトを6時30分にでる。アイゼンを付けスキーはシュリンゲで引っ張るが頂上へ近づくにつれ、風が強い。
 三俣蓮華岳頂上より槍穂高の稜線がよく見えるが、槍ケ岳まではとても今日中に越えられそうに思えない。三俣蓮華岳より強風の中、スキーを付け双六まで斜滑降気味に滑りおりる。双六小屋着8時10分。双六小屋周辺は、いままでの静けさと違い、大変なにぎわいだ。みんな山スキーらしい。
 最近流行のテレマーカーも多い。ここで大休止して遠山氏と別れ、槍ケ岳目指し9時に双六を出発する。槍ケ岳までのルートである西鎌尾根は全然スキーが使えないので、ザックにスキーを付ける。千丈乗越までは休まず快調に登っていったが、千丈乗越より槍ケ岳までの登りが辛かった。
 槍ケ岳肩の小屋に13時20分に着いた。この時期の西鎌尾根の登りはピッケルがあったほうが安心だと思った。肩の小屋で休んだ後、14時に最後の滑降である槍沢を滑る。斜面も雪質もまずまずで、一ノ俣(標高1700m)まで標高差1400mのスキーを楽しむことができた。
 一ノ俣の吊橋より横尾まではゆっくり歩いて約1時間である。横尾に着く頃雨がひどくなってきた。16時20分に横尾に着き、横尾山荘に宿泊しようと申し込んだが、たいへんな混雑で窓なし6畳の部屋で8人泊まると言われ、泊まる気がしなくなった。雨がひどいが様子を見てツエルトに泊まろうかと考えていたところ、上高地に日本山岳会の研修小屋があるのを思いだした。すぐ電話をいれてみると泊まれるとのこと。親指の爪をいためている加藤氏には申し訳なかったが、上高地まで下山することとした。途中徳沢で一休みしただけで上高地の日本山岳会の快適な小屋に19時30分頃〜20時頃全員到着した。
 加藤氏、林氏と小屋でくつろぎながら、立山から上高地までのスキー縦走(ジャパンオートルート)を計画通り、やりとげたという満足感でいっぱいであった。

【コースタイム】 
ビバーク地出発 6:30 −> 双六小屋 8:10/9:00 −> 槍ケ岳肩の小屋 
13:20/14:00 −> 一ノ俣吊橋 15:20 −> 横尾 16:20/17:00
 −> 上高地 19:30

使用共同装備及び食料について                  

使用共同装備 
ゴアテックスツエルト1(インナーフレーム付)、 エントラントツエルト1、
ガソリンコンロ(ピーク1)、ガソリン2.3リットル、コンロベニヤ板、コッヘル1(2000cc用)、
ローソク1本、おたま、食器ふきペーパー、テントブラシ、ライター2、ラジオ、天気図用紙、
スノースコップ1、修理用具(プライヤー、ドライバ、針金、ガムテープ) 
以上合計重量 8.2Kg  


共同食料
朝食4回分 夕食4回分 予備食1日分を用意した。
アルファ米12袋、レトルトカレー・シチュー類12パック、ジフィーズカレー2パック、
クノールカップスープ24袋、とりぞうすい16パック、ジフィーズたまご4パック、
チキンコンソメの素70g、マルタイラーメン3パック、スルメ3枚、砂糖20袋、
日本茶パック20袋、紅茶25袋、インスタントコーヒー50g、コンデンスミルク 150g 
以上合計重量 7.5Kg  
その他、行動食5回分を各自で用意した。

以上の共同装備、食料を持参した。ピッケルは個人装備として、林氏と遠山氏が持参。 
越中沢岳の下りと西鎌尾根で使用した。ザイルは持参しなかった。食料については予備食の1日分が余っただけで不足はなかった。  

出発時の各自のザック重量は16〜18Kgであった。 
内訳 
個人装備          9〜10Kg
行動食           2〜3Kg
水筒1リットル       1Kg
共同装備 食糧 個人負担分 4〜5Kg
以上16〜18Kg 
工夫によりもう少し軽量化できたと思う。

                                  (岡坂記) 


【概念図】
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