ラ・ネージュ山スキー記録集III発行日 1989年12月25日 |
上越 米子沢滑降 1987年4月5日 メンバー:L加藤康男、岡坂準一 4月5日 快晴 清水部落の民宿「やまご」を7時近くに出発する。さすが日曜日とあってたくさんの山スキーヤーが泊まっていた。どうやら我々が一番遅い出発のようである。30分程林道を歩いて米子沢橋へ。林道は半分程除雪されていた。 橋より井戸ノ壁を見るとたくさんの山スキーヤーが登っている。今の時期巻機山は山スキーのメッカなのだ。 ほとんどの人がツボ足である。われわれはあくまでもシールとクトーによる登高に徹した。1200mの地点で休むとする。米子沢をのぞくがなんとか滑れそうであった。ニセ巻機山までの長く苦しい登高が続く。岡坂氏のスピードにはとてもついてゆけなかった。1500mの地点で休む。 ここで我が会の島田氏と出会った。これにはビックリした。11時半に巻機山の頂上へ到達する。 昨日とは打って変わっての快晴である。 360度の大展望が楽しめた。11時55分、山頂より米子沢へ向け尾根上を滑降する。 この部分の滑降は最高の雪質であった。あとは沢の中へ入ってゆく源頭部は急峻な斜面であり、初めてなのでどうルートをとってよいかわからない。 左側よりブロックの落ちてきそうなところがあったが一切かまわず超スピードで一気に1350mまで下降する。 ここは水流が露出しておりそこに落ちればあの世行き、スキーとストックを両手に持ち岡坂氏のトップで左岸の草付をトラバース。先週我が同志会パーティーが滑った時は沢は完全に雪に埋まっていたとの事であった。やっとのことで難所を通過する。沢の中にはシュプールがわずかにあった。先週のものかよくわからない。沢の中は危険なので、ノンストップで米子沢橋に到着する。12時30分であった。35分間で降りてきたことになる。 あのトラバースがなければ15分だろう。岡坂氏とガッチリ握手して無事の下山と、お互いの健闘を称え合った。 その後スキー滑降にて部落の北側のハズレまで帰ってしまった。 民宿「やまご」でのビールで乾杯も早々に13時37分発六日町行きバスに飛び乗り、湯沢より新幹線の車窓の人となった。 (加藤記) 【概念図】 |