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ラ・ネージュ山スキー記録集III 


  発行日 1989年12月25日

月山 1980m                

東北北部  湯殿山スキー場へ                    

                         1984年4月29日〜30日 
                     メンバ:西川克之、蔵田道子、白沢光代 

4月29日
 鶴岡で乗ったタクシーは、月山に近づくと3m余りの雪壁の中に入り、見通しがきかないので慎重に進んで、ようやく姥沢に着いた。小屋の前を通りリフトへ急ぐ。広い斜面にはリフトが一本しかないが、立ち木が無いのでコースは自由に取れ、スキーヤーで大賑わいだった。
 雑踏から逃れるように、紫灯森を目指した。尾根に出ると人は減った。尾根は狭いので西側に少し下りてから整地してテントを張った。4時を回り雪が硬くなってきたが、ヘリコプターで山頂まで飛んだ人達がまだ滑り下りてくる。ヘリは頻繁に飛ぶ。その夜は強い風がテントをバタバタとゆるがせ続けた。 

4月30日
 翌朝、少し登ってから分岐にザックをデポして、山頂を目指す。山頂近くの急斜面は雪が少なくて、鍛冶小屋の辺は赤い旗の間だけがかろうじてスキーで登れた。
 神社の近くで、ガチガチの雪が緩むのを待った。1本のシュプールも見えない大雪城の大斜面や朝日、飯豊、鳥海の大展望をのんびり楽しんでいると、ヘリコプターがスキーヤーを乗せてくるのが見えた。
 彼らより先に下りなくちゃと出発。斜滑降、横滑りで旗の間の雪の少ない難所を通過した。大斜面に出ると雪が緩み回転が出来るようになる。
 デポ地から湯殿山スキー場に向かって、細い尾根を滑ったが、雪が柔らかく思ったより快適だった。1681mのピークから谷に入る。斜度は強く雪は硬い。我々の削り取ったザラメ雪が強風で吹き降ろされ、つぶてのように襲う。顔が痛い。先頭を行く西川さんの下半身は、氷に煙ってよく見えない。沢に着いてからは、長い長いコースを滑ると、広いスキー場に着いた。雪上車で、スキーヤーをリフトの無い斜面に運んでいるのが見えた。このスキー場にも文明の利器があったのだ。 
 タクシーを呼んでもらい、再び鶴岡に戻った。新潟に出て新幹線に乗り帰京した。

【コースタイム】
4/29 鶴岡 13:50 −> 姥沢 15:20/30 −> リフト上    
     16:05 −> ビバーク地 1690m 16:50         

4/30 デポ地 7:00 −> 月山 8:00/40 −> デポ地 9:10/20
 −> 湯殿山スキー場 10:40/11:27 −> 鶴岡 12:10


                                  (白沢記) 
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